考える葦になること。
『人間は考える葦である。』
ブレーズ・パスカル
『思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。』
マザー・テレサ
いずれも有名な言葉です。
そして、
僕が好きな言葉です。
上の言葉の
「葦」という植物ですが、
か弱い植物です。
しかし、どれだけ雨風に打たれても、打たれているときはもうダメにみえるくらい曲がってしまっても、翌日に天気がよくなればまた何事もなかったように元通りになる植物なのです。
ということは、
どういうことか、
人は「か弱く孤独な生き物」ではあるものの「考えることができる」から、その失敗や辛い体験を克服できるということなのです。
下の言葉はマザーテレサの言葉です。
思考→言葉→行動→習慣→性格→運命
順番に気をつけていくと、いつしか自分の運命が変わるというものです。
なので、自分が「考える葦」であり続ければ、思考が変わりいつしか運命まで変えることができるんじゃないかと本気で思っています。
小学生の頃、よくありました。
なんてことない諍いで
仲の良かった子と
「○○ちゃんとは絶交だ!2度と話さない」
とか
ありませんでしたか?
僕も小学生の頃、友達にカードゲームのカードを盗られて喧嘩して、その後、拗ねてその日は誰とも話さなくなって、部屋に引きこもってしまったりした経験がありました。
そのときに僕はこう思ったのです。
「いや、一人になることが正解だったのか?」って。
それ、割と子供のころずっと思っていました。
もちろん、人付き合いの中で好き嫌いはあります。
それは致し方のないことです。
ましてや、子供のころなんて、お互いが
自分が思ったことをフィルターを通さずになんでも言うから、余計に傷つきやすかったりします。
だから、その人と距離をとりたいから一人になる。
もちろん一人になる時間も大切です。
ただ、無理やり人との距離を開けようとすると、出てくるのはやっぱり不安や孤独なのです。
そのままだと
実は一番辛いのは自分だったりしませんか?
実は誰かに甘えたい反動でそうなっているだけではないですか?
実はどうしたらいいかわからないから、誰かに相談したいのではないですか?
そうなった時に、
「考える」べきなのです。
どうしたら、このような状況が生まれなかったのか。
まずは「あるがままに失敗した自分を受け入れること」がスタートだと感じています。
よくありがちな
「失敗した、恥ずかしい!
だから、自分と直視するのをやめる」
「人間関係で衝突したのはあいつのせいだ!
むかつくし、あいつのせいだから自分のせいではない、だから自分と直視するのをやめる」
では、同じ過ちを繰り返してしまいます。
のではなく、
「ああ、失敗してしまったな。この問題は(環境的な要因や、相手にも非はあったけれど、)自分のミスだからしょうがない。」
と失敗した自分を認めてあげるのです。
そして、
「感情的にならない」ということがとても大切です。
「どうしたら、こういうことにならなかったのか」
を冷静に分析するのです。
それも、箇条書きにして行動ベースにまで落とし込めたら最高です。笑
そこまでできたら僕はいつも自分で心の中でガッツポーズをしていますね!
(割と自分が感情的になりやすく正解が出にくくなる傾向があるのを自分で理解しているからです。笑)
そうすれば、
たとえ、相手に圧倒的な非があった問題でも次は回避できる可能性が出てくるわけです。
いちいち、
「感情的な論争に引き込まれると、疲れるのは自分」です。
前にお話しした「心幹」とかぶりますが、
ネガティブに振れてしまった感情は振れた分だけ平静を取り戻すのに体力が必要だと感じています。疲れますね。
だったら、心穏やかに生活していたいですよね。
僕は楽しく思える人と楽しく時間を過ごしたいです。
SNSを見ていると、喜怒哀楽いろんな感情が巻き起こっています。
それはリアルの世界の投影だから自然と言えば自然です。
ただ、それにむやみやたらに感情移入しても疲れます。
特にネガティブな感情が出ている発信は。
だって、ネガティブな言動は自分の不満の解消がメインで、
自分で「考えること」をある意味放棄しているから、喜びも楽しさもなければ、学びもありません。
そして、マイナスの感情が言葉からみなぎっています。
なので、その発信に心を奪われれば奪われた分だけ、体力が吸い取られてしまいます。
僕はネガティブな言動を相手の気持ちを顧みずにする人は
「この人は人に認められたいと思って甘えているんだな、本当は孤独で寂しいんだな」
と解釈しています。
相手の気持ちや状況が予測するとそれだけで怒りの気持ちが緩和されますのでオススメです。
そうするとおおらかな気持ちでその言動をスルーできたり、はたまた、相手の意見を聞くことができたり、さらに、「ごめんね、ありがとう」までも言えるようになれたりもします。
さっきは、小学生の例で話をしましたが、
結構、大なり小なり、大人の世界でもあると思うのです。ってかありますよね。
割とそれに気づかずに悩んでいる人も多いと思います。
だから、このブログで書こうと思いました。
自分に関係ない問題はおおらかな気持ちで受け流すこと、
自分に関係がある問題は素直に受け止めて自分を許し、感情的にならずに、「考える葦」となって、自分で解決する策を考えてみましょうっていう提案です。
まだまだ未熟ですが、
自分はただひたすら「考える葦」になることで、
思考をどんどん柔らかく深くしていき、それを同時に言葉に落とし込んで、習慣にしていき自分の運命を切り開いていきたいと思っています。
その結果、道半ばではありますが、今、私は多くの人と出会え、その縁の中で幸せに生活ができています。
とてもありがたいです。
自分の人生なんだから、他人に左右されるより、自分主導の人生の方が楽しいでしょう!
そのために日々、考えて実践しているのです。
今日もその縁の中で、言葉にできないほど感動して心が動かされる出来事がありました。
すみません、深夜に色々と考えましたが、まだコレ!という言葉に表現できていません。
話題も変わるので、次回、投稿します。笑
そんな生きることが楽しくて、心を動かされたことを思考としてまとめ、「言葉で表現すること」に最近生きがいを感じています。笑
それでは、また!
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