29歳、和して同ぜず
こんばんは!
ちかいです。
2018年2月8日にて29歳となりました!
Facebookなどで皆様メッセージありがとうございました!
↑お客様から不意打ちで撮られ、
その場で写真をいただきました。
前回の投稿で、
自立することを目標としました。
それを達成するために同時に
「和して同ぜず」
を意識したいと思っています。
この言葉、孔子の論語・子路のなかでの
「君子は和すれども同ぜず。小人は同ずれども和せず」
という一文からきています。
調和を志し、
雷同はしない
という意味です。
僕の調和と雷同の解釈は
調和とは
「お互いのフィールドが重なり合うなかで共感すること、助け合うこと」
雷同とは
「慣れ合いのなかで自分や相手の考えを大切にせずに依存や搾取すること」
だと思っています。
この言葉を大切にしたいと思ったのは
自分の異動により環境が激変したことに起因します。
都心でのコミュニケーションは
割と表面的な理解は早いのですが、
深い部分では調和する必要もないという方が多い気がします。
一方、地方都市のコミュニケーションは
ガードは固いものの一度仲良くなると、
公も私もすぐに打ち解けるまでになります。
ただ、雷同という形になるパターンもあるので注意が必要だと感じていました。
***
僕は全ての人に対して
初めましてのときに、僕は割とたくさん相手に質問をします。
その人の人となりを早く知りたいからです。
そこから発展させて会話を成立させます。
ただ、その反応に都心と地方都市の大きなコミュニケーションパターンの違いがあるような気がします。
都心の方は
質問をして、相手の言葉を要約して
これは○○ということですか?
と聞いても、
「いや」とか「でも」
を接頭辞で使う人が多いです。
ただそれ、使われると結構ショックです。笑
おそらく、
「お前に俺の何が分かるんだ?知られてたまるか。」
というプライドがあるのかもしれません。
僕の要約ミスの可能性もありますが、
ただ僕としては言っていることをまとめているだけなのですが、割とそこで都会の人の壁を感じてしまいます。
地方都市ではあまりなかったパターンです。おそらく警戒心が都心にいる方は強いのかもしれませんね。
コツコツ信頼を積み重ねていきます。笑
地方都市では、
温かさは都心と比べて大きいのですが、
雷同のパターンが多いかもしれません。
1日の中で人と会う数が少ないので、
人1人に依存しやすいからかなと思っています。
少し慣れてくると、公も私も関係なくなってくることが多いかもしれません。
それがお互い心地よければいいですが、そのあたりのコントロールがつきにくくなると付き合いも大変です。
搾取されそうなタイミングではっきりNOと本人にいうか、
それが出来ないのであればある程度のところで距離をとめることも必要かもしれません。
搾取するつもりでなくても、搾取したりされたり、相手や自分に負担を与えるケースが増えてきます。
相手が何をしたいのか、どうしようとしているのかを考えて、
これ以上は超えない距離感を弁えるということが大切です。
対して、都心の方は
調和をしないので人に頼るのが苦手な方が多いです。
一人で出来ないのであれば自己開示して、人に頼っても良いと思ったりします。
協力してもらうためには相手を信じて調和をしようとする心が大切です。
そして、そこに調和の代わりとなるように変なプライドや意地が邪魔をします。
なかにはマウンティングしてくる人もいます。
そのあたりはスルーしますが。笑
と、考えるとやはり大切になるのが、
和して同ぜずという言葉です。
相手に敬意を持って、重なり合う部分で協力し合うスタンスを持って、
程よい距離感を保つバランス感覚なのでしょうか。
自分は距離の近さは割と耐性がありますが、度を超えるときつくなる時もあります。
人によって耐えられる距離感は様々なので、そこは見極めが必要です。
僕も周りにいる人も心地よく過ごすためにも、
まず僕から
「和して同ぜず」
を大切に、自立した人間になっていければと思います。
あ、遅くなりましたが、
現在、私はTHE ROASTERYにてバリスタとして店頭にも立っています。
半分は営業ですが、もしお近くくることがあればお立ち寄りください!
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