「自立して生きる」ということ

こんばんは、
久々に過去回想編をお送りします。
回想編ということで自分のカメラロールから懐かしい写真もお見せしたいと思います。
↑初Cafe Groveでの岡本、石坂さんです。

↑アジフライを食べに行った時の岡本、石坂さんです。

これ1年半前かな?だいぶ前な感じします。

はい!

前回までで、
「木更津店のフード導入、アレンジドリンク導入をし木更津店はリニューアルオープンをしました。」
本日はそこからスタートします。


リニューアルに伴い、間口は広くはなったものの、
それでもなお爆発的な売上の伸びとまでは行かず苦戦をしいられます。

そこで遂に、
木更津店自体のそもそものランニングコストを削減していく必要が出て来ます。

そうなると余裕を持った運営ができなくなる分、バランスが悪くなるのは人の問題です。

会社への不信感や生活とのバランスから
辞めるという決断を下すスタッフが相次ぎました。

これから、変わるというところで
そこに店舗が賑わう未来像を見せられなかった苦悩がいまだに僕の脳裏に焼き付いています。

辞めることにどうすることもできない自分の力。

それに苦悩しながらも前を見据えて進まなければなりませんでした。

そんなことを考えていた、矢先の出来事でした。

自分でなかなか解決できない人のことやお店のことを常に考えていたようで仕事中も休みも疲れが取れていなかったのかもしれません。

2015年11月のとある休みの日のことです。

僕は前日までの仕事で疲れ切って15時まで睡眠をとりました。

そのため、そのときから軽い頭痛と頭がボッーとしていたのですが、
とりあえず起きなきゃという義務感で無理やり外に出ました。

目を覚ませるために、近くのコーヒーショップにいき、コーヒーを飲みました。
頭痛は治まったものの、
ただ、コーヒーを飲むと今度は動悸が激しくなりました。

体調が優れない日だと感じ、
早めに外に出ました。

そして、その帰り道。
夕食の買い物をしにスーパーに寄ったのが決定打となりました。

そのスーパーの洗剤コーナーを通ろうとしたときに、あの独特な香りに
頭がクラっとした感覚に襲われたのです。

化学薬品なのか、その匂いを嗅ぐと、フワッフワッと意識が遠のきそうになる感じでした。

すぐに別の場所に移動としようとした瞬間、
そのフワッフワッとした感覚が大きくなりました。

と、
そこから次の記憶がなく、

目が覚めたときはスーパーのトイレの個室の中でした。

しかも目の前には救急隊員が僕に声をかけていました。

「大丈夫ですか?あ、意識が戻りました、大丈夫ですか?」

と。

「え、あれ、どうなってたんだ?これ。」
と周りの状況を確認すると

服を着たまま便座に座っていたので、すぐに立とうと身体を持ち上げようと意識しました。

が、
全く身体が動きません。

一瞬の金縛りのような感覚で身体が動かせなかったのです。


ただ、喋ることはできたので、声を振り絞って聞きました。

「僕はどうなっていたのでしょうか?」

それだけはなんとか聞くことができました。

搬送の準備をしながら声をかけ対応して下さっている救急隊員の方から

「30分の意識消失が見られました。通報を受けたときは、泡を吹いて床に突っ伏した状態で青ざめた状態での発見だったようです。」

と説明を受けました。
自分のことなのに自分がそうなっていたのかという記憶もないので、現実がまだ受け止められませんでした。

その後は身体も動かせないので、
なすがままに病院に搬送されました。

搬送されながら優しく声をかけてくださる隊員の方の言葉を聞いてホッとしたときに現実を初めて直視できたように思います。

そして、病院についてから、点滴を打って、CTの検査を受けました。

幸いにも異常はないとのことで、点滴の経過や身体が動き始めたことを鑑みて即日退院となりました。

ただ、30分の意識消失は通常余り考えられないから、
検査は受けた方がよいと勧められ、X線や不整脈かどうかを見る検査など、考えられる全ての検査を受けました。

そこで、異常は見られず、そこまで検査を受けてようやく安心して日常生活に戻ることができました。検査を全て終えるのに、2ヶ月かかりました。

この体験が僕にとって
初めて自分の死と向き合った瞬間だったかもしれません。


人はいつどうなるか分からないということです。


そして、
身体は大丈夫とは言えども、その検査にはそれなりのお金がかかりました。

いつどうなるか分からないし、どうかなったときに備え、貯金が必ず必要だということを痛感しました。(仮に手術だ、通院だとなればなおさら)
足りはしたものの、少ない貯金を切り崩しての検査はかなりの痛手でもありました。


そこで、
会社内のことは自分の裁量に関する部分だけ頑張ればよいという見方がガラッと変わりました。

会社自体を自分も背負うんだ。

そうでなければ、自分すら自分で守れなくなる。会社を背負う一翼になれば、自分も仲間も守れるようになる。


と思ったのです。
そこからが僕の中で働き方も考え方もより大きく変わっていった気がします。

当事者意識が段違いに強くなった


というのが大きなところです。

当事者意識が高まると、今度は会社が目指すべき本質が何かを考えるようになります。

木更津店は

豆販売と地元への貢献とPR

の2つです。
その本質に沿った商売を店舗で組み立てるべきだと考えるようになったのです。

それが木更津の卸営業に繋がり、多くのイベント出店に繋がったのです。


***

意識を失って倒れて、生まれて初めて死を意識しました。
そのことで、
早く自立をして生きなければという意識が芽生えました。


そこから、自立をするためにどうすればいいかと考えて、
自立することは「自分の意思を持ち、行動し成果を上げ、会社を成長させることで、それに見合った稼ぎを得ることだ」と理解ができました。


そして、自分の意思で行動するためには広い視野で本質を理解することが大切だと気付かされました。

これが僕の中での大きな気付きとなりました。

それ以降は無駄なことにいちいち気を留めなくなり、やるべきことを明確に捉えてそれに向かった行動を取れるようになりました。
何よりも解決できないことを無駄に考えることが減ったので、精神的に落ち着いたことも大きいです。

そこから、僕自身も木更津店も大きく巻き返しを起こすようになってきます。

はい、そこからはまた次回お話します!

それではまた!

コーヒーと自分と

Chikai Hiroki 普段お話できないようなことをこちらからも少しずつ発信していきます。

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